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機動戦士ガンダム45周年 ガンダムの生みの親 メカニカルデザイナー大河原邦男

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TVアニメ『機動戦士ガンダム』誕生から45年が経ち、ガンダムシリーズは時代とともに様々に発展してきた。ガンダムを生んだ、アニメ界を支えるメカデザインのパイオニア、大河原邦男さんに、50年以上にわたり第一線で活躍する仕事の秘訣とガンダムにまつわるエピソードをたずねた。

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アニメにおけるメカデザインの役目


大河原邦男
大河原邦男|オオカワラ・クニオ
メカニカルデザイナー。1947年東京都生まれ。東京造形大学卒業。大手アパレル会社を経て、72年、竜の子プロダクション入社。78年に独立。 アニメ代表作に『科学忍者隊ガッチャマン』『タイムボカンシリーズ ヤッターマン』『機動戦士ガンダム』『装甲騎兵ボトムズ』、勇者シリーズ など多数。他、玩具やゲームなど幅広い分野でメカデザインを手がける。 2013年文化庁メディア芸術祭にて功労賞受賞。


大河原邦男さんは、ガンダムシリーズをはじめ、『タイムボカンシリーズ ヤッターマン』『装甲騎兵ボトムズ』など数えきれぬほど多くの人気アニメのロボット、メカのデザインをしてきたメカニカルデザイナーの草分け的存在。だが、もともとアニメにも漫画にも興味がなかったというのだ。そんな大河原さんがアニメの世界に入ったのはまさかの偶然だった。

「東京造形大学の4年生の頃から、就職先のアパレル会社で試用期間として働いていました。紳士服の部署に所属し背広のラインをデザインしていましたが、周りは服飾学校の子ばかりで自分だけ場違いな気がして、正社員になる前に辞めてしまったんです。その後、ベビー子供服のメーカーに就職し、妻に出会いました。そこでは営業担当だったのでやっぱり面白くなく、結婚を機に会社を辞め、新たな職を探していたときに竜の子プロダクション(現タツノコプロ)の求人広告を見つけたんです。しかも会社が彼女の家から通いやすかった(笑)」

背景美術担当として入社したが、『科学忍者隊ガッチャマン』(1972-74年)のタイトルロゴを手がけたのをきっかけにデザイナーとしてデビュー。当初、メカを描ける人がいなかったため、メカ専門にデザインするようになった。「ガッチャマンの評判が良く、この仕事を面白そうだと思い始めました。女子大生が主人公のファンクラブを作ってくれたり、リアクションを肌で感じ、エンターテインメントとしての華やかな部分があることに気づきました」と振り返る。

以来、52年にわたり、大河原さんは数え切れないほどのアニメのメカデザインを手がけることになる。そもそもメカデザインとはどういう仕事なのか。代表作の一つ『機動戦士ガンダム』のモビルスーツはどのように生まれたのか。

「私の仕事は、形を作ってアニメーター全員が理解できるように伝えること。そのため誰にとってもわかりやすい、馴染みのある形を組み合わせて作り上げていく。できるだけ描き込みの線は少なく、シンプルな構造にする。そうして子供たちが憧れるようなキャラクターとして世に送り出していくことです。ガンダムでは侍をモチーフにして、ちょんまげや裃(かみしも)、兜の前立てをつけたデザインにしましたが、ロボットのデザインは、コスチュームやファッションのデザインと同じように考えています。それが如実に出ているのがザクで、背広のラインから着想を得ました。アパレル時代に紳士服をデザインしていたときの経験が生きています」

機動戦士ガンダムの生みの親大河原邦夫インタビュー

UTのために描き下ろしたイラスト原画には歴代ガンダムが集合。下段左から:Z(ゼータ)ガンダム、ガンダム、ゴッドガンダム。中段左:ウィングガンダムゼロ、右:∀(ターンエー)ガンダム、上段左から:フリーダムガンダム、ユニコーンガンダム、ジャスティスガンダム。


機動戦士ガンダムの生みの親大河原邦夫インタビュー

工作室にかかっているTシャツには、シリーズ第1作『機動戦士ガンダム』のガンダム(中)、ガンキャノン(左)、ガンタンク(右)、背後にシャア専用の赤いザクの原画をプリント。


絵を描くより工作のほうが得意だった


1970~80年代、アニメのスポンサーである玩具メーカーを口説くには、ロボットをいかに商品化できるかが鍵。そのため大河原さんはメカのデザインだけでなく、玩具になったときの変形から合体まで機構を考え、さらには自分でモックアップ(模型)まで作ってプレゼンに行っていた。その原点は小学生時代にさかのぼる。

「小学校3、4年の工作の先生の影響が大きいです。当時、レジン(樹脂)が何かも知らないような時代でしたが、それを使って花のブローチを作ったり、薄いアルミを筒状にしてパラシュートを入れてゴムで打ち上げ、上でパラシュートが開いて落ちてくる仕掛けを作ったりということを授業で体験したんです。中高生になると、実家の蔵にあった機械を分解して、構造を見たり、その部品を使って何かを作ったり。大学に入ってからは車いじりも好きで、車にテレビを付けたり、マフラーを単管パイプに交換したり。私が帰宅すると数キロ先から音でわかると近所で噂になっていました(笑)」

機動戦士ガンダムの生みの親大河原邦夫インタビュー

工具から旋盤まで、一通りの機構試作ができるという大河原さん自慢の工作室。機械の上には、ガンダムのプラモデルが。


面白く見せるためにもっともらしく“嘘をつく”


大河原さんにとって、デザインの過程で一番楽しいと感じるのは企画書を見た瞬間だという。そこからすぐ頭の中にイメージが広がっていくので仕事は早い。もしアニメ好きだったら、細部にまでこだわりすぎてこうはいかない。同時に何本も抱えてスケジュールに追われる毎日の中でも、これまで締め切りに遅れたことが一度もないのが自慢だと笑う。「どんなに忙しくても辛いと思ったことはないので、きっと楽しんでいたのかもしれません」。数えきれないメカを生み出した大河原さんが、デザインをする上で変わらずにこだわり、大事にしていることがある。

「我々の仕事はもっともらしく“嘘をつく”ことです。真実だけを見せてもまったく面白くありません。もちろんパーツや部品、構造がわかっている上での嘘ですが、誇張したり、フォトジェニックであることが必要です。私の場合は、なるべく少ない線で見せて、形から質感や量感を感じてもらう。

アニメだと、ロボットはバストアップの画が多いので、ノーブルな顔立ち、胸やヘルメットの装飾など、上半身のデザインに特にこだわります。翼を大きく広げ腕を動かすと、黄金比のバランスなのか、放射線状に伸びる構図がかっこよく見えるんです。そういった見た目に加え、演出家による機能やギミックと連動した武器でロボットは魅力的な活躍をします。

だから監督がどんな戦い方をさせて、どんな武器を持たせたいか。それに応えるにはどんなメカデザインが必要かを考えます。例えば、マグネット・コーティングをするガンダムの部品と言われて、よくわからない機能の機械でもアニメーターに伝えるために、ネジ1本に至る細かいところまでデザインします。アニメというのは最後の声優さんまで、本当チームワークの共同作業なんです」

死ぬまでキャラクターを発信し続けたい


1979年にはじまり、2000年代の『機動戦士ガンダムSEED』、20年代の『機動戦士ガンダム 水星の魔女』、24年には劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』公開など、ガンダムシリーズは世代を超えて、世界中で支持され人気を集めている。そして、UTのTシャツを通して、ファンはもちろん、アニメを見たことのない人たちにも広まり、Tシャツをきっかけに知る人もいるかもしれない。

「長くやってきてよかったなと思います。70、80年代は何もかも全てオリジナルだったから、自分の思いをそのまま作品にのせられる、いい時代を過ごせたことは私にとって財産です。既にあるものを料理するのではなく、素材から全部集めて素晴らしい料理を一から作れるなんて、めったに巡り合えることではない、本当に貴重な体験です」
「もう引退しないとね」と冗談まじりに語るが、一人のほうが自由で気楽だとアシスタントもつけずに自らモックアップで機構試作をし、CGまで使いこなす。とても77歳とは思えない軽やかさが、今なお最前線で活躍し続ける秘訣だろう。

「今の人なら普通は全てデジタルでやるところを、筆が使えることを強みに、あえて筆とデジタルを融合したり。もともと機械いじりが好きだから、新しい技術も、パソコンで描くのも、ソフトを使うのも好きなんです。逆に手描きは大変だから、デジタルで納品と言われるとシメたと思います(笑)。せっかくキャラクターを世界に発信できる立場にいるなら、死ぬまで発信し続けたいですから」

© Sotsu • Sunrise



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